再見!能登 北陸 大糸線基哈52 新聞輸送列車
該來的還是要來,今天(2010.3.12.)是JR呆鴨改正的前日,也就是說,明天時刻表改正之後,很多車車就要永遠消失了。今天,是大糸線基哈52的 最後行駛日,伴隨著這個國鐵型氣動車消失的,還有糸魚川的紅磚車庫。嗚嗚!而現在人山人海的上野車站,一定也是一大堆人等著替等一下發車的急行能登與寢台 北陸送終。聽說,現在上野站已經進入完全警戒狀態,因為蜂擁而至的鐵道迷,早把把這兩列車的最終發車的上野十三番線塞爆!至於今天下午已經上演的再見戲 碼,則是日本最後的「新聞輸送列車」。這個兩國、千葉間的夕刊輸送專列,今天過後也將改以卡車運輸。我雖沒拍113系擔當的這種列車,嘿嘿!以前我拍的可 是荷物電車的新聞輸送車呢!好了!閒話休題,等著替北陸與能登送終吧!
「北陸」「能登」ファンに見送られ最後の旅へ出発
3月12日22時20分配信 産経新聞
ブルートレインの愛称で親しまれた寝台特急「北陸」(上野~金沢)と定期便としては最後のボンネット型車両となった急行「能登」(同)が12日夜、最後 の旅に出発した。始発駅となったJR上野駅や金沢駅には大勢の鉄道ファンが集まり、悲鳴のような声を上げながら見送った。
「北陸」は昭和25年に上野~大阪間の急行列車として誕生。寝台特急に昇格した50年から青い客車を使用し、当時全盛期を迎えていたブルートレインの仲間入りを果たした。
首都圏発のブルートレインは、東京駅発着が既に全廃、上野駅発着も札幌行きの「北斗星」と日本海回りで青森に向かう「あけぼの」だけとなる。
「北陸」を補完する形で同時期に誕生した「能登」は、平成5年から489系電車のボンネット型を使用。今では定期運行としては最後のボンネット型となり、ファンの注目を集めていた。
「北陸」「能登」がラストラン
3月12日14時17分配信 時事通信
上野-金沢間を半世紀以上にわたり結んできた寝台特急(ブルートレイン)「北陸」と夜行急行「能登」が12日夜、定期運転のラストランを迎える。車体を 撮影しようとする鉄道ファン「撮り鉄」の一部にマナー違反も目立つことから、JR東日本は、両列車が発着する上野駅ホームに職員40人を配置、厳戒態勢を 敷く。警視庁鉄道警察隊と上野署も不測の事態に備え、ホームなどに警察官を配置する。同社によると、両列車をカメラに収めようとするファンは先月中旬ごろ から急増。今月6日は土曜日ということもあり、700人を超えたという。同社は現在、警備員を増やし、11日夜までは約20人態勢で警戒。12日夜は倍の 約40人態勢で臨むが、「実際にどれくらいの人がホームに詰め掛けるか、想像もつかない」としている。
「北陸」と「能登」にお別れ、「撮り鉄」集合
3月12日22時35分配信 読売新聞
半世紀以上にわたって上野―金沢間を結んできたJRの寝台特急「北陸」と夜行急行「能登」のラストランを迎えた12日夜、上野、金沢駅には両列車の発車前から車体をカメラに収めようとする鉄道ファン「撮り鉄」が多数詰めかけた。
JR東日本は上野駅のホームに社員ら約40人を配置。警視庁も警察官約30人を動員して警戒にあたった。
北陸と能登の下り列車が午後11時過ぎから発車する上野駅13番線ホームには、午後8時過ぎから続々とファンが集まった。東京都品川区の会社員西野太弼 さん(29)は「10代の頃から能登に乗って旅を楽しんできた。上野から1駅区間だけでも乗って別れを惜しみたい」と名残惜しそうに語った。
一方、金沢駅でビデオカメラを手にしていた金沢市の小学5年生水本健太君(11)は2月、家族と一緒に初めて能登と北陸に乗って上野駅間を往復し、寝台の感触が忘れられなくなったという。「最後なのできれいに写したい」と列車の到着を待っていた。
さよなら新聞輸送列車---トラックに転換
3月12日17時42分配信 レスポンス
JR東日本・両国駅(東京都)で12日、専用列車としては最後の存在だった「新聞輸送列車」(両国 - 千葉)が運行最終日を迎え、出発時間の13時18分前後には、多くのレールファンで混雑した。
駅係員は「本日、新聞輸送列車の最終にともないまして、13時ごろより3番線を開放いたします。写真撮影でお越しの方、3番線での撮影をお楽しみください」とアナウンス。ホームには警察官や民間警備員らも動員された。
「30人から40人の社員が安全確保などのために現場に集められているのではないか」と関係者はもらす。
両国駅には、総武線の上下線用の1・2番線ホームのほかに、国技館側に3番線ホームが存在する。秋葉原方のレールが途切れた行き止まりのホームで、房総方面への観光向け臨時列車や、この新聞輸送列車などの客扱い・荷物扱い用に使用されている。
「さよなら新聞輸送列車」と書かれたJR両国駅オリジナルのメッセージボードが掲げられた3番線ホームに、113系を使用した新聞輸送列車が到着すると、 新聞輸送スタッフがいつもと同じように夕刊紙の束を次々と電車に積み込んでいく。その傍ら、JR社員による弦楽器の生演奏や、関係者による花束贈呈式など のセレモニーが行なわれていた。
最後まで残っていた新聞輸送列車が、トラック輸送に切り替えられたひとつの理由に、アクアラインの通行料金値下げや千葉方面の道路事情の変化があげられる。
千葉県などのまとめによると、2月中のアクアラインの交通量(日平均交通量、台/日)は、前年月に比べて47%の増加。そのうち土日祝日は32%増、平日 は58%の増加となり、さらに大型車(軸距5.5m以上の車両)は2倍(100%増)の6200台/日を記録したという。
千葉県トラック協会は、「今回の新聞輸送列車のトラック化についてはさまざまな経緯があると思うが、新聞などものによってはトラックで輸送したほうがコス トも時間も削減できる場合がある。湾岸道や京葉道からアクアラインにどれだけクルマの量がシフトして、かつどれだけ自動車輸送が増減したかなど、調査して いるところでもある」と話していた。
《レスポンス 大野雅人》
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